誰かの時間とその場の雰囲気を人質に取る行為

この前のブログで自分の機嫌ぐらいは取れるようにしたいと書いたが、

先日、捜し物をするために押し入れを漁って、昔勤めていた会社にいたときの勉強ノートやらスケジュール帳の束が出てきたとき、そう言えばと思い出すことがあった。


話しがとっちらかるけど、取りあえず書く。


最初に就職した会社は100席以上ある大きめのコールセンター。


部署の先輩にあたる方が育児休暇を取られるのに伴って、私が先輩の担当されていた仕事を引き継いだ。


品質管理担当というものだ。


文字通り、品質が一定あるいはそれ以上に保たれているかとか、当時、巷で流行っていた業務改善活動を推進したり、それに伴うチームを組んだりとか、文字にすると立派そうに見えるけれど、ぶっちゃけルーティンっぽい部分も多い仕事だった。


とはいえ、それは私がいた会社でのこと。恐らく他社ではそんな生ぬるい仕事ではないと思う。


よくお問い合わせ先の電話番号に電話してオペレーターに繋がる前に、応対品質の向上の為に音声を録音している~みたいなアナウンスを聞いた事がある人もいるだろう。


その録音された音声データを聞いたりして、話し方、言葉遣い、応対内容に問題がないかってのを確認したり、それを数字評価しやすくするための評価シートを作成して自動でデータ化するソフト的なものを作ったり、受注率が上がってるか、下がってるか、とかそういうのを精査したり一覧にして現場のスーパーバイザーと呼ばれる人たちに共有する。と言った具合だ。たまーにIDカードで入退室の管理権限を変えたりなんて作業もあった。


その担当に着任して最初の年、所属している部署の上司が変わった。(変わった理由もくだらない理由なのだが、今回の話しとは関係ないので省く)


その方は他のセンターでも同じ役職をされていた。他センターでの仕事ぶりは耳にしたことがなかったので、どんな人か存じ上げなかったが、異動してきてからの印象は「口が悪く、短気な人」であった。


お客だろうが社員だろうが関係なく、罵ったり、大声で怒鳴る。


クライアントについては直接ではなく、クライアントがいない場所で悪口をわめいていたけど、面白いくらい毎日怒っていた。


人前でキレる。もしくはずっと不機嫌な態度を取る。


半年後に行われたES調査(従業員満足度調査)は最低最悪であった。離職率もそこそこ高い。年中ただでさえ人が足りない職場なのに(これはオペレーターのスキルが低すぎるという、かなり根深い大きな問題があったのも大きな原因だが)人がちょっとずつ辞めていく。


これは・・・と頭を抱えた私とスーパーバイザーは特にこれと言って打開策が浮かぶこともない日々が続いた。


ある日、よく行く喫茶店で知り合いの医師に遭遇した。その方は会社の健康診断を受け持っている病院の先生で、私は品質管理担当になる前、総務をしていた関係でお会いすることが多く、先生も私に気がついて声をかけてきて下さった。立ち話で近況を軽く話し合って、先生は席に着かれた。


その日、喫茶店は特別貸し切りで、ある楽器を演奏する方のコンサートが行われていた。私はそのイベントのお手伝いでそこにいたのだが、そのイベントが終わるなり、先生は「この演奏会を今度おたくの会社のメンタルヘルス研修会でやりましょう!」と声をかけてきた。


私は総務担当を外れた立場だったこともあり、予算のこともあるので上司に一度相談させてくださいと返事をした。先生はかなり前向きで「私に払うお金はいらないから、演奏家にそのお金を払ってもらえば。私からも上司の方に電話で話してみるから!」とまで仰ってくださった。


翌日、上司に演奏家の資料を携えて、いきさつを説明。そして上司が言ったのは

「そもそもメンタルヘルス研修会なんてやる必要がない。そんなことに金をかける必要があるのか、金をかけるなら受注が取れるような研修会か勉強会をやれ」だった。

ある程度、予想していた。その上司は誰かしらの提案や意見をいつも否定したり、揚げ足取りすることばかりしていた人だったので、内心やっぱりなという気持ちだった。


私は頭が良くないが、ある程度の考えは回る。作戦も無しに話しかけることはしない。その日もわめきちらしてるのを聞きながら、

①私の提案ではなく、病院の医師「自ら」の提案であること

②予算については例年開催している研修会なので、今年も予算は抑えてあり、また支払いも先生にお支払いする分をそのまま演奏家へお支払いするカタチで良いと先生に了承をいただいているので、追加予算も発生しない

③例年開催しているものを今年度開催しない理由を従業員に納得できるよう説明できなければ、下半期のES調査の評価もまた下がると思われること

④演奏家の方は障がい者の方でお身体が不自由の中、プロとして活動をされており、一般の演奏家とは異なる。また、本社で推進している障がい者雇用について、当センターはまだ雇用するまでには至っていない。雇用まではすぐに行かなくとも、地元のそういった方の活動を応援する姿勢というのは大事ではないかと思うこと


などなど、あらゆる理由を無理矢理つけて、やった方がいいんじゃないかアピールをした。それでも渋い顔をされたので、病院の先生に電話して上司に電話を替わってもらうと、上司はウソみたいに二つ返事でOKした。


あんなに!!ごねてたのに!?!?ってな気持ちだった。


自分より上と思う役職、職種の人や、自分が認めた人じゃないと言うことを聞かない(聞く価値がないと思っている)方なんだなってよく分かった出来事だった。


そして、演奏会は無事に開催される運びとなった。


演奏家の方は、事前にどのくらいの年齢層の方が多いのかヒアリングを行い、その方達が喜びそうな選曲と合わせて、なんと当日には参加者のリクエストにも応えて下さった。


おかげでオペレーターさんを始め、社員のみなさんからはすこぶる好評だったし、また来年もやって欲しいというアンケートばかりだった。しばらくの間、コールセンター内や会社の雰囲気がとても良くなった。このときは病院の先生にとても感謝した。


オペレーターさんたちはよっぽどその演奏会に感動したのか、廊下で上司に会うと「私たちパートにもあんなにステキな機会をくださってありがとうございます!」とお礼を述べてくれて、それを聞いた上司が嬉しそうにしていたのが腹立たしかった。


あんなに!!文句言っていたくせに!!!(部署とコールセンターは部屋が別なので、上司が文句や悪口言ってるのを知ってるのは社員の一部とスーパーバイザーだけ)


しかし、またしばらくすると、上司の怒ったり、不機嫌な日々が始まる。


職場の空気は悪い。毎日悪い。何も起きていないのに、何か起こるんじゃないかという嫌な緊張感。


職場の雰囲気を常に保つには、メンタルヘルス研修会くらいでは足りなかった。日頃の意識の問題だと痛感した。キッカケにもならず、当然と言えば当然の結果だった。


このとき学んだのが、「機嫌をとること」だったように思う。相手の機嫌ではなく自分の機嫌。


前に読んだコラムで、「不機嫌とはその場の空気を人質に取る行為」というのを見た。もしかしたら前にブログにも書いたかもしれないけど、本当にその通りだと今でも思う。


不機嫌を振りかざす人は、その場にいる全員のどう過ごすかっていう時間やモチベーションを台無しにすることができるわけで。だから不機嫌を振りかざす人がキライだ。


何も生まないし、何も進まない。


もちろん私だって不機嫌を振りかざしていたことはめちゃめちゃある。だからこそ、気をつけたいと心がけているし、自戒するために書く。


そして、同時に「相手ばかりを悪者にしてはいけない」と思ったことも、この後に待ち受けていた。


その上司は人事異動で他のセンターへと移ることになった。私のいた会社はそこそこ大きな会社のグループ会社ということもあり、パワハラだとかセクハラ問題にはかなり厳しかった。これまでに発していた発言が異動の大きな原因だと思うが真実は分からない。でも、着任して1年もしないうちの異動はその当時異例だった。


殆どの社員は喜んだ。悲しむ人はいなかったと思う。少なからず私もあのギスギスした空気から解放されるという点においては心から喜んでいた。


送別会もないまま、上司が最後の挨拶をするとき「かなり口うるさかった自覚もあるし、いなくなって清々する人もいると思う。ただこのままでは危ない。そういう危機感を自分と同じくらい持っている人がどれだけいるか。それは分からないけれど、今後もみなさんには頑張って欲しいと思う」みたいなことを言った。


私は正直、このときすごくドキッとした。嫌な意味で。


私が品質管理担当を引き継ぐ何年か前から、センターの業績が少しずつ少しずつ悪くなっていっていたから。応対品質も停滞したままで、私は過去のデータと見比べて正直このままだとクライアントから契約が打ち切られるかもしれないと思っていた。


着任してからそれについて改善しようと、スーパーバイザーを始め、センターマネジャーへも状況を報告して対策を取るべきだと声をかけた。そのたびに言われたのが「いまやっている」「現場の状況も知らないで言われても困る」「経験もないのに」という言葉だった。その方達の手助けも手伝いも出来なければ、意識を変えることも出来なかった。


その上司がいなくなり、会社の雰囲気は良くなった。


同時に、悪く言えばなあなあな空気も出た。上司がいた頃、少し回復していた受注率は更に少しずつ下がっていった。


何もできない日々が続き、自分は何も出来ないと悟って半年経った時点で退職を直属の上長に申し出た。 今度の更新はせず(1年単位の契約社員だったので)、残りの半年は引き継ぎと合わせて、できる限りのことを頑張ると言って。


ここで私が何かしらの対策を導入して、業績が回復して、社長賞もらってとかだったら最高にカッコイイお話しですが、そんなワケはない。何もできなかった。


そのころ私が思ったのは、私たちはたまたま、あれこれ毎日騒いで目につく口の悪い上司に、「ああ言う言い方するからモチベが落ちる」とトーンポリシングよろしく不満を押しつけて本質(自分たちの置かれている現状)から目を逸らしていたんじゃないかということだった。


だって、その上司が来る前から業績は落ちていた。その上司が雰囲気を悪くしたのが原因ではないのは明白だ。


口の悪い上司の肩を持つつもりは全くない。暴言や悪口は1000%悪いし、不機嫌は雰囲気を人質に取る行為という考えも変わらない。個人的にも強い言葉を使う人は苦手だ。嫌な事を思い出して身体が否応なしに萎縮するから。


けれど、その上司が全くの無能で本当に何も分かっていない人だったのか?とは思う。


現在の状況(本質)を見抜いてこれはまずいと、上司は上司なりにかなり焦っていたのではないかと思った。お前ら、もっと本気でやらないと仕事なくなるぞと。


だったらもっと言い方があろうだろう。わかる。それを言いたい気持ちも。私も思っていたし、言っていた。だけど、相手の態度や口が悪いからとこちらも態度(応対)を悪くして、その場の雰囲気を壊していたのはお互い様だった。思い返すと「たられば」なことばかり浮かんだ。


もちろん上司という立場である以上、その上司が上司として求めらる応対をしてもらうのは必然だ。その責任はある。その為の役職でもある。


しかし、業績が落ちたり、いつも低いモチベ(少なくとも私はそのときそう見えた)が落ちることと、その上司とが直接、因果関係があるとは思えないでいた。完全に後の祭りだ。後になって気がついたのだから。

書いてることが調子がいいことだなと思う。(こういうのをダブルスタンダードって言うんだろうな)

会社帰りの飲み会や、休憩中のおしゃべりで話す事ってその上司の愚痴や悪口ばかりだったように思う。それで本当に良かったのかって今でも思っている。結果、私がその会社を辞めて半年後にはコールセンターはなくなった。大口のクライアントを失ったためだ。

もってあと1、2年くらいかなと思っていたので、それより早い展開に、何もできなかったまま、最悪の結末を迎えたなと思った。無力感ばかりで恥ずかしくて死にそうだった。(思っただけで死ななかったけど)

そのとき残っていた120名のパートタイマーは半分以上が退職して、残りは関連会社のオペレーターの紹介があったが、そこはかなりスキルが高い人たちが行くところだったので、2ヶ月の研修で、また半分が辞めたそうだ。私と同じような契約社員だった人も退職した人、オペレーターと同じ関連会社で研修を受ける人と様々だった。社員の方も本社に戻った人、別のセンターに行った人とみんながバラバラになった。

件の上司は、異動先で私たちがいたコールセンターがなくなったことを知って、どう思っただろう。

ざまあみろ?言った通りだろ?バカだな?

聞いてないし、聞きたくもないから想像でしかないけど。私やあの会社にいて上司の悪口を言っていた人々は何も言い返せない。完全に負け犬の遠吠えだ。


上司は言葉づかいや態度など、上司としての役割を果たしていなかったし、私たちの態度や対応を指して、自分の意見や考えを正当化していた。

私たちは私たちでそんな上司の態度と対応、言葉づかいをエサに自分たちを正当化して、いつまでも問題の本質を見ようとも、受け入れようともしなかった。


どちらも変えようとしなかった自分を正当化する理由にはならない。

相手が間違っていると思うときは同時に自分も大きく間違っているのかもしれないと言う危機感?自分への疑い?くらいは忘れないでいたいと思った。(自分の考えに自信のある人は強いなあとは思うので羨ましく思うときはある。なれないと分かっているので、なりたくはないけど。)

私がいたコールセンター(支店)はなくなったけど、会社自体はまだある。調べたら合併して名前変わってた。私がいた当時、今で言うテレワークのはしりみたいなことをやってて結構業界からも注目されてたけど、コストがかかるってので、その分野はしぼんだんだよね。。。テレワークの導入でそのときのノウハウとか活かせてたらいいななんて思ったりしました。

らいらいらいだー

創作好きマルチプレイヤー

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